旅するデザイナーとマフラー

旅する暮らしを目指しながら建築についてなど日々思うことを書いていきます。

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建築人間だけに閉ざされた「建築旅行」

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こんにちは

建築を学びながらも建築ってほんとにいいものなのかなぁと疑問を抱き続けている彼方だ

建築を学ぶ場に訪れると「建築旅行」という言葉をよく耳にする。

また建築を学ぶものなら一度は「建築旅行」なるものに行った/行こうかなと思ったことがあるだろう。

今回はその「建築旅行」にまつわる建築人間/非建築人間の行為について述べたいと思う。

 

 

「建築旅行」とは?

 

「建築旅行」とは何か。

言葉の通り建築を見に行くことを目的とした旅行のことだ。

建築を学んだことない人でも、なんか有名建築家が建てた美術館等の建物に行くと、いろんな角度から写真を撮ったり、積極的にノートに何かを描き込んでいる若者を見たことがあるだろう。

あんな感じで各地の建築を巡り、その建築を観察するのだ。

建築を学ぶものとして、いい建築を見ることは自分の設計の糧ともなるしとても重要なことだと思う。

 

しかしこの前同期がこんなことを話していた。

「(建築学んでない)普通の友達と行くと、どこに行けばわからない」

「(建築学んでない)普通の友達とは、建築旅行行けない」

この発言を聞いて、「おっ?」と思った。

 

同期の発言に違和感を感じた理由

 

同期の発言に違和感を感じたのは一体なぜか

 

まず私自身の「建築」に対する考えを述べたい。

以下の記事でも述べているが、客観的事実として、私は一般的な建築学生と比較すれば、いわゆる「建築」以外の設計課題にも取り組んできた。

www.traveler-kavata.com

その上で思うのは、やはり「建築」を学ぶ者は「建築」とそれ以外を分けて考えすぎていると思う(まぁ建築を学ぶ者に限らないかもしれないけど)。

私達の身の回りのモノというのはデザイナーとか建築家といった専門家だけのものではない、多くの人に関係するものである。

特に建築なんて町の景観や自身の暮らしなどに直結するのだから、ある意味で言えば全ての人が関心をもってもおかしくない。

それなのに建築は一部の建築マニアのためのものだと思われたり、逆に建築人間の方も私の同期が言った上記のような発言で「非建築人間(とあえてここではそう呼ぶ)」を遠ざけてしまうのはよくないと思う

まぁ建築人間は建築の専門家として、非建築人間よりも吸収しないといけないことが多いことは事実だけど、それでも建築人間だけがこぞって訪れ、非建築人間が興味ももてないような建築はモノとしてダメだと思うのだ。

私が同期の発言に違和感を覚えたのはそういった考えがあるからで、本当に素晴らしい建築であれば、非建築人間である同期らの言う「普通の人間」にも感動を与えたりするはずであり、そうであるなら「普通の友達とは、建築旅行行けない」という発言はでてこないはずだ。

 

少し前にノートルダム大聖堂が燃えるという事件があり、それに対する市民の声の悲痛さが報道されたのが心に残っている。

ノートルダム大聖堂は非常に長い歴史のある建物であるということや欧米は市民レベルで建築に対する意識が高いということもあるが、それでも素晴らしい建築は人の心を打つ。

日本も誰もが心を打つような建築をつくるべきだし、仮に市民の意識レベルが低いのであれば非建築人間には理解できないからと切り捨てるのではなく、もっと理解を促すべきなのである。歩み寄るのは非建築人間側からではなく、建築人間からでなければいけない。

 

もっと建築が全ての人に開かれたものであると切に願う。

 

旅は続く.........