旅するデザイナーとマフラー

旅する暮らしを目指しながら建築についてなど日々思うことを書いていきます。

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【nLDKとは何か】西沢立衛のnLDKシステムについての考え

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こんにちは
現在建築を学んでいる彼方だ。

皆さんは建築家にどのようなイメージをもっていますか?
すごい?気難しそう?芸術家?

私は最近「住宅論―12のダイアローグ」という本を読みました。

この本は建築家・青木淳さんが、「住宅フォーラム」で自身と様々な建築家をホストに迎え、「住宅」にまつわる対談をまとめたものです。

以下のような書き出しから本著はスタートします。

住宅とは「住むということ」、「生活すること」のリアリティがとりあえずのカタチをとった結果である。-青木淳 

「住宅論―12のダイアローグ (10+1series)」の画像検索結果

 この本に収録されていた建築家・西沢立衛さんの「nLDK」に関する考えがとても興味深かったので、今回はその内容を、私の考えを踏まえながら紹介したいと思います。

 

 西沢立衛について 

まず登場する建築家・西沢立衛氏について簡単に説明します。

1966年神奈川生まれの建築家で、横浜国立大学で建築を学び、1995年建築事務所設立、現在は横浜国立大学にて准教授をされています。プリツカー賞や吉岡賞といった建築界で有名な賞を数多く受賞しており、有名な設計物として、十和田市現代美術館等があげられます。
収録されている対談は1999年と独立してから間もない時期であり、西沢氏が当時初めて手掛けた住宅である「ウィークエンドハウス」を主軸に氏の住宅論が展開されています。 

 

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引用元<http://www.a-proj.jp/interview_nishizawa_1.html>

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引用元<http://www.aq.upm.es/Departamentos/Proyectos/PROYECTO-ALPHA-web/PROYECTO-ALPHA-050/C1/PK-WEEKEND-H/1planos2.htm>

 

nLDKシステムをめぐって – 西沢立衛

 ドミノシステム、ファサード、ユニバーサルスペースet…

建築を学ぶと難しい言葉が幾つも登場します。

しかしそんな中で、「nLDK」という言葉は建築を飛び越え、広く一般に知れ渡っている建築用語ではないでしょうか。

それほどまでに「nLDK」というシステムは私達の住生活に大きく影響を与えたものだと言えます。その一方で「nLDK」というものが住宅の間取りを規定してしまっているのではないか、不自由にしてしまっているのではないか、ということを西沢氏は述べています。

 nLDKとはLiving(リビング=食事の場)、Dining(ダイニング=団欒の場)、Kitchen(キッチン=厨房)の頭文字とn個のPrivate Space(プライベートスペース=就寝)の略称であることは周知の事実だと思います。

 

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n個の個室とLDK(現実にはこんな間取りなかなかないですが...)

では食事の場、団欒の場等はそれぞれ何をする場なのでしょうか?
食事の場はご飯を食べる、家族と話す、スマホを見る、勉強をするetc…
団欒の場はくつろぐ、テレビを見る、お菓子を食べる、家族と話すetc…
あれ?細分化してみてみると、実は明確な境界なんてものは存在しないような気がしませんか?

西沢さんはこのことについて以下のように述べています。

 「ウィークエンドハウス」が週末住宅ということもあり、普通の住宅の密度でない構成でつくりたかった。その際既存のnLDKの考えを再考、食事・就寝・団欒・入浴といったパーツをもっと緩やかにしてみようと考えた。その際の考えとして例えば「食事」といってもその「あくびする」とか「手を挙げる」とか様々な行為が生まれる。つまり拡大率を変えることででてくる行為は変化する。nLDKというのは「代表制」で普段やっている行為を大胆に省略している。

 nLDKとはその場所でなんとなく出てくる行為のうち代表的なものを取り上げているということです。

それはつまり、居室毎に使い方を規定しようとしてもしきれないということ。

いくら設計者が「ここは寝室です。ここで寝てくださいね」といっても住む人がその通りに行動するかはわかりません。ソファで寝たりするかもしれないし、逆に寝室で仕事をするかもしれない。 

ではだからといって住まい手に使い方は全部任せて、設計者は箱つくってればいいのかというと設備とかは動かせないので、ある程度は決め打ちしないといけません。

そのことについて西沢氏はこう述べています。

 では住宅は細長くて暗い部屋みたいな空間特性だけで語り、住まい手があとは自由にやってね、というのがいいかというとそれはそれで設計者が設備だとかも決めるわけなので、やっぱり僕(西沢)は機能的な問題を触発しうる建物をつくりたい。

 壁も興味ある。食事と団欒は倍率を上げるとシームレス、ある程度の抽象性あってその二つが分節された。平面を考えるということは生活にある一定の抽象性を与えることだから壁の役割も大きいと思う。

  この考えの通り、「ウィークエンドハウス」は間に間仕切り壁がなく、全ての空間が緩やかにつながっています。

 立場が変われば、見えてくるものも変わるので、普遍的なシステムと言われているものはあんまり意味がない。それよりも自分がどのくらいの抽象度(=倍率)で物事を見ているかを認識して、その立場から責任もって提案することが重要である、というのが西沢氏の考えです。

  なるほど確かにその通りだとハッとさせられました、と同時に自分たちも普段リビングとか寝室だとか言葉によって勝手に居場所を定義しすぎている部分もあるのかもしれないと感じました。

こういったあらゆる視点から「住まい」を考えることができるのが、建築家の凄みなのかなと思います。

  最後まで読んでいただき、ありがとうございました!