私の大学生活におけるサークルの意味
もう2週間ほど前になるが所属している2つのサークルの追いコンを終えた。
この記事で書いた通り
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私は音楽系サークルAと文化系サークルBの2つのサークルに所属していた。両サークルともたまに顔は出すものの、本格的な活動には顔をださない。引退直後に書いた前回の記事から約1年と少しが経った。
今一度自分にとってこの2つのサークルがどのような意味があったのかを考えてみる。
文科系サークルB
一時期先輩の態度に納得が行かず行きたくない時期もあったが、比較的平穏に続けれれたし、卒業式の日に後輩達から花束をもらったとき、「続けていて良かったな」と思える自分がいた。
思い返すとそう思えるのはほんわかするかわいい後輩にたくさん会えたからかなと思う。私は高校の時から自分の心の平穏を保ってくれる後輩を探す傾向があるので、そういった後輩が多くいたこのサークルは特に先輩が卒業してから居心地が良かった。
同期は9人いて今年は誰一人留年することなく卒業できたが、思い返せば1年の冬に同期が1人辞めてから、卒業までずっとその9人で頑張ってきた。
このサークルは先輩後輩ともに男女関係等の人間関係的に様々な問題が発生していたようだが、私の代はそういった問題も起こらず平和に4年間が終わった。 みんな所属学科もバラバラであったが、だからこそお互いの役割というものがはっきりして、上手くバランスが取れていたように思う。
サークルの仕事という意味でいうと上手く回っていたものの、卒業してみると、正直人間的にはなかなか話が合わなかったりする人もいて、深い付き合いにはならなかったかなとも思う。追いコンでも同期の部長が「この代そんなに深く付き合ってたわけではないよね」と言っていた。深い付き合いではなかったので人間関係的な問題は起こらなかったともいえる。
とはいえ卒業後にそれぞれがそれぞれの分野で活躍している様子がなんとなくわかる。いつかまた集まったときにそれぞれの分野の話を聞けたらなと思う。
音楽系サークルA
卒業してみて感じたが、私にとってはやはり僕サークルBよりもこちらのサークルがメインだったと思う。
サークルBとは違い、こちらのサークルは常に波乱万丈であった。会として色々過渡期であったこともあり運営やらなんやらの問題が山積みであったし、私自身もそれなりに重要な役職について忙しかった。
こちらのサークルもサークルBと同じく同期が9人だった。サークルBと違うのは2年次の頃からどんどんとサークルの本業に顔を出さなくなり休会扱いの人が増えたいったことだ。4年次の演奏会に出演したのは4人のみ、そして私も演奏はしていない。
4年間で会の方針等の違いから起こる同期の衝突も多かったし、どんどん同期が休会していっていく様子を見ていく時には悲しい気持ちになることもあった。
しかし卒業式の日、後輩の見送りや追いコン等イベントは複数あり、1つのイベントに9人揃うことはなかったものの9人全員が何かしらのイベントには出席してサークルに関わったことに私はとても感動した。
思えば会に顔を出さないだけで数人での飲み会は来たりと会に対する帰属意識はないものの個人のつながりは太かった。
正直1年のころは絶対辞めてやるとずっと思い続けていたサークルだったが、最後まで続けてこれたのはきっと同期の力なのかなと卒業してみて思う。サークルを運営していくということに対して意見の対立はすさまじかったが、個人個人としては話の合う人が多く、皆いい人で楽しかった。この人達との関係は崩したくないなという思うから休会を繰り返してしまったものの最後まで続けられたのかなと思う。
真剣に付き合ってぶつかり合ったからこそ、得られるものもあるのかなと実感した。
いつかまた先輩後輩達も含めて集まりたいと思うし、きっとまた集まるだろうと思う。
性格として正反対のサークルであったが、正反対であったことでそれぞれ違った体験をすることができた。
正直学科ではハブられたとかそういうわけではないが4年間ずっと同じグループにいたということはなく、コウモリのようにフラフラしていてあまり確固とした自分の居場所があったようには思えなかった。しかしサークル、特に音楽系サークルAではいつもフラフラしている自分にとってもここが自分の居場所であると思えた。
居場所が見つけられたこと、それが私の大学生活において、サークルがもつ意味だったのかもしれない。