セブンイレブンの煉瓦がプリントだった件
タイトルのとおり。
ふとセブンイレブンの壁をみたらプリントだった。
ご丁寧にエッジが光って見えるようになっている。
以前自然素材だけで立体を構成するという課題が出された。
その先生曰く、人工的なアスファルトとかプラスチックに比べ自然の石などは素材としての強さがあるらしい。
というわけで道を散歩して自然素材を探しに歩き回ったのだけど、それが全然見つからない。
そして講評の時、先生が言ったことがとても印象に残ってる。
今自分達が住んでいる街はアスファルトで舗装された道、サンディングの壁と人工的なものばかり。自然なんてありやしない。
その授業で言われるまでそんなことには目も向かなかったし、セブンのプリントレンガも最近やっと気付いた。
僕らはそういった弱い空間の中で、偽物に囲まれて生きている。
でもそういった偽物に囲まれながらの生活が生まれたときから当たり前だったらそれがいつしか本物になっていくのかな。
スクランブル交差点の中心で自由を叫ぶ
最近色んなYouTuberの動画をよく見ています。
中年層とそれ以上の世代とかからはYouTuber何それ状態だし
TVやマスコミは、小学生のなりたい職業ランクにYouTuberが入っていて日本の将来が心配みたいな報道をしてる
確かにそういう側面もあるかもしれないけれども
それでもやっぱり面白い動画を撮り続けるクレイジーながらも素晴らしい動画クリエイターがたくさんいる。
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常識とは偏見のコレクションである。
最近ちょっとしたことでもヒトにいらついてしまう。
昔は気にもならなかったような些細なこと、自分とは違う考え、方法を好奇の目ではなく拒絶の目で見るようなことが多くなった気がする。
ヒトを許せなくなった。
自分がヒト許せなくなっていったのか
それとも
ヒトが、自分のもともと許せないと思っていた方向に足をどんどん踏み入れていったのか
まぁきっと両方なんだろう。
アインシュタインが言っていた、
「常識とは18歳までに得た偏見のコレクションである。」
(Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.)
自分の常識と、ヒトの常識、偏見によりそれらの範囲はどんどんと狭くなっていき、交わりが、消えていく。
年齢を重ねるにつれ常識という名の足かせが増えていく、
自我がよくないのか、それなら自我はいらない。流れる水のようにいきていきたい。
我が家には中国の哲学家・老子が書き記した「タオ」と呼ばれる本があり、自分は幼いころからその本を何度も繰り返し読んでいた。
流れる水のように生きる、かつては当たり前だとおもっていたこの考えが年齢とともに実行するのが難しくなっていった。
凝り固まった身体を溶かして水とする、常識など忘れてしまいたい。
同じ目線で 同じ景色を視て・・・・・
タイトルの言葉は「ココロコネクト」というアニメの「ココロノカラ」という曲の一部。
同じ目線で 同じ景色を視て 同じ音を聴いて どんなに寄り添っても
ヒトのココロは伝わらなくて...
だから僕らは この想いを 言葉に託す
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