旅するデザイナーとマフラー

旅する暮らしを目指しながら建築についてなど日々思うことを書いていきます。

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500枚スケッチ始めました

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自分は画力が圧倒的に足りない、最近なんどもそう痛感する。

かわいい女の子を描くのが圧倒的にうまい人、車を描くのがとにかくうまい人、コピックでどんな表現もできる人など絵がうまい人がまわりにたくさんいる自分のこの環境はとても恵まれているのだなと思う。そんな人たちの絵をみて圧倒されているだけではだめだ、自分もこういう人たちに追いつきたい。

 

そのためにはどうすればいいか・・・・

 

年内に500枚スケッチを描く!!

www.pixiv.net

 

質を上げることはもちろん大事だ、だから作品もときどきあげる。でもやっぱり絵を描くということをもっと習慣づけたい、そのためには量を増やさねば。

もともと作品をあげるためにこのブログを始めたわけだし、より良い作品を生み出すためにまずは基礎的な訓練をどんどんこなしていこう。

 

こう書いているとまるでノルマを課しているような感じがするが実際は絵を描くのはとにかく楽しい、いろんな煩わしいことで作業を中断されなければずっと描いていられる。やはり絵を描くことが自分の生きがいとなりつつある、とてもよいことだ。

 

シンプルという言葉は嫌いだけどシンプルに生きたいというシンプルではない文章

今学期も半分くらい過ぎた。だんだん暑くなってきて家で作業するのも面倒くさい時期だ。できればだらだらしていたい。

4月に新学期が始まって今まで(今も)とにかくやるべきことが多かった。一つ一つは小さくてもやることが多いだけでこんなに辛くなるとは思ってもいなかった、何から手をつければいいのかの優先順位を考えるだけで頭がパンクしそうだ。実際パンクしていくつか取りこぼしてしまったことがあったし。

 こういうときふとシンプルに生きようという言葉が脳裏に浮かぶ

小さい頃、いや最近までも「シンプル」という言葉が嫌いだった。「シンプル」という言葉を使いたがる人は自分をエリートに見せたがっている気取り屋に見える。それは今も変わっていない。

それにシンプルになればなるほど、余計なものを省き物事の本質だけを見つめていくようになる。でも人生なんて無駄だらけででもそこが楽しいのだからそこを削ってしまうなんてなんて味気ない人生だろうと思ってしまう。

しかしこうもやることが多いと余計なことを切り捨てていくことも重要なのかもしれないと思ってしまう。

年を重ねれば重ねるほど人は何かのプロフェッショナルになりたがるが何かをやり遂げないとプロフェッショナルにはなれない。一つの事をやり遂げるにはやることを厳選しないといけない。

悩ましい・・・・

 

論理的思考はいらない

ついこの間所属している団体でちょっとした揉め事があって幹部同士が議論していた。一方の幹部Aはもう一方の幹部Bのことを感情的・主観的と批判していて、幹部Bの受け入れを聞き入れない。幹部Aの主張はなんだかどこかひっかかるものの論理的には破綻していなくて幹部Bは言い返せない・・・・

 

主観的か・・・・

 

横で素知らぬ顔でこの議論を聞いていながら、主観客観についてつらつらと考えていた。客観的な視点から論理的に話すことが中学校・高校・大学とあがっていくにつれ重要視されるようになってきてそれができる人間が良しとされてきた。

でも幹部Aを見てるとどうも理論では納得できるのだけどなぜか釈然としない。なんだか最も重要な人間らしさのような部分が抜け落ちてしまっている気がしてしまう。

ほんとに理論的な考えができればそれでいいのか・・・・?

 

 一体どうすればよいのかネットでいろいろ記事をあさっていたら以下のような記事をみつけた。

どういうわけか、「気を遣わないこと」を「論理的だ」と思っている人はとても多い。感情面に配慮せずに議論することを「論理的な議論」だと信じている人には、なんというか、もう、げんなりさせられる。rootport.hateblo.jp

 

論理的な人間は自分を信用していないからだ。自分の「感性」よりも、論理を信じているからだ。

 

僕の幹部Aに感じていた違和感はこれだったのか。

理論に従えば自分の行いに今までも、そしてこれからも間違いはない。そういった心が幹部Aの中にはあるのだろう。

でも理論的であるというのはある種未来が見通せるということである。未来が見通せる人生はなにがおもしろいのだろうか。一寸先は常に闇だが、だからこそ手探りに全力で生きられる、人生とはそういうものだと自分は思うのだ。

頑張らないという選択

課題ラッシュがようやく終わった.....2か月に一回くらいやってくる課題ラッシュのたびに今回のラッシュが一番やばいと思っているが実際今回が一番やばかった。特にこの1週間昼夜というものがまるでなく、眠くて眠くてしょうがなくなったとき2.3時間眠るという感じ。

今回なぜこんな辛かったんだろうと考えてみる。

課題の量が多かったということも当然あるけどなんかやっててつまらない課題が多かった。

 

そして今回の課題ラッシュで失ったものは大きい。

自分のキャパを超えてしまい、疎かにしてはいけないものを疎かにしてしまった。 どうもたくさんのタスクを追われるようにこなし、忙しくしていることに喜びを感じるようになってしまっていたらしい。そういった考えにとらわれてしまっていた。何かをやっているという状態こそがヒトが活きているということなのだと錯覚していた。

そうではない。いつももっとマッタリ過ごしたいと言っていたのにこれでは、真逆ではないか。

 

自分の状況からもう少し範囲を広げて、大学でも経験することこそ正義のように扱われている。インターンにいくこと地域のために活動することetc.... みんな様々な活動をして頑張っている、時に嫌がりながらも将来のためと自分をなだめ、時に感情を押し殺している。

 

そんなに頑張ってどうするのだろう。なにになるのだろう。なんのために頑張っているのだろう。そもそも頑張るとはなんなのであろうか?

行動するから・頑張るから良いのではない・幸せになれるのではない。

またこの時期がやってきた(課題ラッシュ)

課題ラッシュの時期.....寝れなかったり変なところで寝たりで体の節々が痛くなってきた。

 

あと一週間くらいはこんな日々が続きそう.....

 

まぁこんな忙しい時期だからこそ、ほっと一息ブログでも更新する。

 

なにかを書き留めるというのは足を止めて、過ごしてきた時間を振り返るためにあるのだろうな

 

振り返りつつちまちま課題やろ

出会いと別れの夢を見る

奇妙な夢を見て目が覚めてしまった。

昔の思い出の人達に再会するという夢。笑顔の再会もある、気まずい再会もある。

当時の出来事をそのまま夢に見るということはあっても当時の人達に今現在再び出会うという夢はほとんどなく(もしかしたら初めて?)新鮮であった、どういう心理なのだろう。

昨日は知人の紹介でとあるイベントで開かれるワークショップの手伝いをし、その後そのイベント参加者達とで1時間程度の小規模な懇親会をやった、小規模と言っても80人くらいはいるけれども。一日かけてイベントを一緒に準備し終わりにはイベントをやりきった達成感で参加者全員が一体感がある、懇親会も色んな特技をもった人達と交流できて楽しかった。しかしその一方で縁もゆかりもない土地で僕がこの人達に出会うことはもうないのだろうなと思ってしまった。

一日の中で出会いから別れまでの流れを体験して、今まで小中高その他のもろもろでの出会いと別れを思い出したのだろうな。

人生は有限できっと会いたいときに会いたい人に合わないと一生会えない。

昔の友人達に久しぶりに連絡をとってみようかな。

我々はどれほどこの「世界」を知っているのだろう?

大学ではファインアートではなくデザインを学んでいる。

デザイン・設計を学びはじめまだほんの2.3年しか経っていないがどうすれば上手く進むのか、どういったものがいいのかほんのちょっと少しずつでもわかってきた。

分析や調査を行い、最初の糸口にさえたどり着けばどおのずとカタチや空間が見えてくる。それは数学で解を見つけ出すような感覚に近い、もともとある答えを探り当てるようなものだ。問題は相手が提示してくれている。向き合うべきは相手だ。

 

ファインアートは難しい、自分と向き合う、自分を知り自分の中からまだない答えをうみださなければならない。自分と本気で向き合い、絵でも文章でも自分を本気で表現しようとすると自分のつまらなさ、底の浅さにうんざりする。自分は世界を何も知らないのだと痛感する。ここでいう「世界」とは大学生が「社会経験」などの意味で使う「世界」ではなくもっと広い意味での「世界」だ。

木々はどういった枝葉をしているのか?空間とはなんなのか?光があるとなぜ影ができるのか?言葉とはなにか?etc...

この世の中を構成しているものこと全てをひっくるめた「世界」にはまだまだ知らないことが多すぎる。そんな世界に生きていて自分はどれほどのことを知っているのだろうか?どれほどの疑問に気付いているのだろうか?

聞きかじった話で知った気になっているだけで自分の中に残っていない、だから自分を表現するときにいつも詰まってしまうのだ。

 

この世界に自分はどれだけ本当に向き合ってきたのだろう?

 

課題やらなんやらとにかく忙しく充分に思考する時間もなく小手先だけの表現でその場をしのいできた生き方をやめ、充分に世界と向き合い、充分に自分を表現したい。

 

 

グリザイユ画法で絵を描いてみた

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「狩人」

 

グリザイユ画法というモノクロの絵を完成させたあと、着彩をしていくという画法を用いてイラストを描いたのは初めてだがとてもやりやすい。

イラストを描き始めるようになったのはほんの一年くらい前からで、それまでは絵を描くといえばデッサンだった自分にとって彫刻のように大まかなカタチから細部へと、陰影を追って描いていくという作業はそこそこ慣れている。パーツ毎にレイヤー分けをして塗り絵のように着彩することは憧れるがまだまだ自分は使いこなせないと感じる。

 

モノクロの世界に原色が一色だけはいるという構成が最近お気に入り