記憶から抜け落ちてしまった人たちもどこかで生きているという話
----序1----
先日高校時代の後輩の「卒業生による文化祭」を復活させようという投稿がSNSでまわってきた。我が母校には卒業生の現在やっていることを一同に介して紹介・展示するという、さながら文化祭のようなものが以前行われていたらしい。そんなことがあったなんて初めて知ったわと思いつつ、シェアをした。気になっていいねをした人たちを見てみるとちらほらと記憶に懐かしい人々がそこにはいた。
----序2----
先日高校時代恋焦がれていた子のSNSを偶然発見した。高校の時からゲーム開発が好きだった彼女は、その分野の学会やイベントに積極的に参加していて、高校時代からの「好き」を思う存分発揮して、はたから見てすごい立派になっていた、ように思う。
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思い出深かったように思う高校時代を久しぶりにダイレクトにふれる機会があって、記憶から抜け落ちていた様々なことが思い出された。自分の記憶から抜け落ちしまっている人々も今までなにか、どこかで、生きていたんだと思う。と同時に皆の記憶からも今飄々と生きている私に関する記憶は抜け落ちているのだろう。
高校時代は私の人生の視野を広げてくれるような人が数多くいて、とても思い出深かったように思う。しかし当時の私は人との関わり方ということを全く知らずにいた。
大学・大学院に入って、やっと人との関わり方が少しわかったように思う。
会いたい人への会い方が少しわかったように思う。
会いたいと思ってもらうにはどう振舞えばいいかが少しわかったように思う。
今私は高校時代に失った自分の記憶・皆の中から零れ落ちた私に関する記憶を必死に取り戻そうとしているのかもしれない。
きっと今なら、記憶からこぼれ落ちないと言わんばかりに。
「卒業生による文化祭」を復活させたい。
今のみんなに会いたい。
どこかで生きているということを実感したいし、実感してもらいたいのだ。