同窓会は品評会なのか
上の記事を読んだ。現在高校教師を務めている増田が久しぶりにあった高校の同級生達の話が全て品評会のように聞こえ、自分と価値観が合わなくなってしまったことに気付いたという内容だ。
私も主に大学に入ってから、周りの人間の価値観が合わないと感じることがある。人間の質が高校生とは違うと。
具体的には、会話の内容がどこのブランドがいいやら、異性について容姿や行動の評価など、どことなく他人を品評し、自分とどちらと優れているのか、この増田と同じようなことを感じた。
そういえば先日小学校の同級生1人が今夏から海外生活を始めるとのことで、送別会が当時の同級生数人で行われた。ほとんどが実に4年ぶりくらいで、中には小学校を卒業してから会ったことないかな?というようなものもいる。かつての同級生は皆大人になり、大学院生になっているものもいれば、社会人になって働いているものもいる。
昔話に花が咲く。しかしそこでも、今どんな異性と付き合っているのか?どんなブランドをもっているか?今時分は株でこれだけ儲けているなどとこの増田の同級生と同じような会話が繰り広げられた。
たまに大人になればなるほど人の多様性がなくなっていると感じることがある。高校くらいまではこれをしたい、これになりたいという夢を皆語っていた。色んな人がいて、それぞれが夢に向かってはしっていた。その動機は単純な自身の純粋興味から湧き出るものだった。
大人たちの興味も一見多種多様に見える。しかしその根本を見れば、金や異性などたった2,3の事柄に結びついていくように見えてならない。こういう風にしか見れなくなってしまった私に問題があるのだろうか。
でも中には今も変わらず、彼らが今取り組んでいることについて、自身の好奇心から湧き出る根拠をもとに、楽し気に話す同級生もいて、そんな彼らの姿をみて嬉しくなった。
次にみんなで集まるのはいつのことになるだろうか。彼女が海外から帰ってきたときであろうか?
その時はどのような会話が繰り広げられるのだろう。