旅するデザイナーとマフラー

日常の備忘録。そしていつかする旅にむけて。

捨てられないもの

 卒制を提出し終えた。発表等はまだ残っているので気は抜けないが、ひとまず休憩。

 

昨日は地域のシニア世代の方々に、生活をしていて捨てにくいもの、使いにくいものを挙げてもらいながらモノとの付き合い方を見直すワークショップの手伝いをしていた。

 シニア世代向けだったこともあり、人生をどう終えるか、「終活」に関わる話も多く、モノをどう整理し捨てるかという話題がだんだんと中心になっていった。

 

4年前に住み始めたこの6畳の下宿先もモノが増えたなと実感する。書籍が増えたので本棚を買ったり、服は洋服ダンスいっぱいにまでなった。普段は空けないような引き出しからいつだかの授業のプリントがでてきたり、なんだかわからない保証書や契約書がでてきたり。画材の類もたくさんでてきた。

私は春から他大学院に進学するため、今からちまちまと引っ越しの準備を進めている。いざ整理を始めると、何の感慨もなく捨てれてしまうモノもたくさんあり、こんなものが今まで部屋を占領していたのかと思う。着なくなった服、旅行して衝動買いしたはいいもののほとんど使わずにただの物置と化したもの。

 

1人暮らしをしていると、毎週ゴミ捨てのたびに私はこんなにもゴミを生み出しているのかと実感する。

コンビニで弁当を買い、食べて、容器だけが残る。その容器を捨てる旅、この陽気は一体何のために生み出されたのだろうと思ってしまう。

大学の授業で、説明会で、いろいろともらった書類や資料。必要かもしれないととっておくも、今整理の段階でほとんど無価値なものだと気づき、ほとんど読み返すこともなく(いやもらった当時もろくに読んでいないだろう)捨ててしまう

 

一方で見返すことはほとんどないが、思い出があって捨てられないものも多い。高校時代のアルバムとかがその例だ。人生を歩めば歩むほど、過去の思い出が増えてきて捨てられないものが増えていくという現実に今からどうしようかなぁと悩む。実際今現在も、私の持ち物の中で昔の思い出に関連するモノが占める割合はそれなりに多い。

 

 

「モノをつくる」学問を学んできたこともあってか、モノってなんだろうなってよく考える。

なんの感慨もなく捨ててしまえるもの、捨てることが当たり前のモノも誰かがつくっているわけで。すべてのものに愛着を、とは難しいまでもモノ1つ1つを大切にしたい、と昨日のワークショップを通じて改めて思った。