卒業制作(提出目前をひかえて)の感想 - 私はこうして自分自身の卒制を失敗した -
卒制提出が迫っている。
ブログなんぞ書いている場合ではないのだけど、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ともいうように、提出してしまうと考えていたことなんぞ忘れてしまうだろうので、今のうちに考えていたことなどを吐き出してしまいたいと思う。
そしてこれが提出前最後の休息になるだろう・・・・
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目次
一年を振り返って
この一年を振り返ると、卒制一色であった。私の所属しているゼミではゼミ内でのプロジェクトの活動を卒制として提出する。つまり卒制のテーマ的に、そこにほとんど自由はなく、私は全く興味もないことをやってきた。正直この一年、一体自分は何をやっているのだろうと、幾度となく思った。
投げ出してしまえばいいんだろうが、外部が絡むものであったので、投げ出せない。生き殺しである。
とりあえず最後まで脱落せずここまでこれた自分を褒めたい。頑張った、自分!
さて「人生の夏休み」と言われる大学とはいえ、特に外部が絡むプロジェクトは仕事さながらである。同じゼミの先輩・同期とともに行うグループワークだったので、一年という長丁場、進めていけばいくほど、どんどんと自分の役割というものが浮き彫りになっていく。その中で私は、、、役立たずだった。
作業は遅く、いいアイデアも出せない。自分以外の人たちが熱心に作業しているときはいつも取り残された気分だった。グループの人たちは皆とてもいい人達なので何も言わず優しかったが、たくさん迷惑をかけただろう。ここで謝ってもしょうがないのだけど、本当に申し訳ない。
今、一年の集大成ということで論文という名の活動報告書を執筆している。やってきたことのボリュームは充分ある。しかし正直「自分の卒制か」と問われると、首を縦にふることはできない。そもそもこれは自分がやってきたことなのか?先輩の出したアイデアをただなぞっただけなんじゃないか?正直私はなにもやっていないんじゃないか?という気になり、非常にもやもやする。
私は私自身の卒制を遂行することができなかった。私は私自身の卒制を失敗した。
指導教授ともなかなか上手くいかなかった。別に辛く当たられていたわけではない、こちらが一方的に壁をつくっていただけなのだけど、相談事も自分の考えを伝えることもできなかった。
ゼミ内で居場所がないというわけではない。しかし常に幾何かの気まずさと疎外感を感じていた。
なぜ卒制はうまくいかなかったのか
自分なりに卒制がうまくいかなかった理由を考えてみる。
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スタートダッシュでつまづく
一昨年の11月、ゼミに配属されたばかりでまだ我がゼミでの活動など全然なかったころ、私は他ゼミが主催していて個人的にとても興味があるプロジェクト(プロジェクトBとしよう)に参加していた。プロジェクトBは今年度の5月辺りまで続き、個人的にとてもタメになった。。ただ一つ残念だったことは、プロジェクトBと我がゼミのプロジェクトともに、当初のスケジュールから大幅に変更されて佳境が見事に重なってしまったことである。
特に我がゼミのプロジェクト最初の佳境、私以外のメンバーが必至に頑張っているなか、私だけ抜け出しプロジェクトBをやる・・・・。
佳境後の我がゼミのプロジェクトの打ち上げの場、 皆一様にお疲れだが、私以外は同じ修羅場を迎えているわけで、目に見えないけれども「何か」を共有しているように見えた。見事にスタートダッシュにつまづいた。
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空気を読んで、遠慮をしすぎた
プロジェクトキックオフの時、グループの中の役割を決めるための話し合いがあった。しかし各々の希望を聞くと、役割が偏ってしまう。結果、私がバランスをとって希望していた役割から移動して、足りない役割へと移った。
最初のほんのちょっとの選択、しかしそれが以外と最後まで尾を引いてしまったと今になって思う。
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相談をしなすぎた
今、一年の活動をまとめている段階になって、私が取り組んでいるテーマは難しすぎることに気付く。前に述べた通り、教授に気軽に相談しにいけるほどの勇気や、関係性をこの一年間培ってこなかったのだが、もっと最初のころからそういった関係性を培ってくれば、今頃少し違った結果があったのではないかと思える。
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まぁそもそもゼミ選びで教授の相性だとかをもっと考慮にいれるべきだった
そういえば一年半前、ゼミを選ぶときに「〇〇(現ゼミの先生)と別に親しくなりたいとは思わないなぁ」ということを友人に言っていたことを最近思い出す。ゼミ配属前にそんな調子では、当然ゼミでうまくいくはずもない。
そもそもゼミを選んだきっかけは、まぁ経緯は非常にややこしいのだが、一言でいうとブランドである。「この授業に力を入れていてかつ優秀な人は、我がゼミに入る」という風潮が学科全体にあり、幸いにも私はその授業にとても力をいれていて、自分でいうのもなんだが、優秀だった。このゼミに入ることは、つまりその授業での優秀さを証明されたようなもの(だと当時は思っていた)。
ゼミは思っていた以上に、教授やゼミ内の学生と密に関わる。人間をきちんと考慮にいれるべきだった。
こう書いていくと逆説的にどうすれば卒制がうまく進むかが見えてくる。
1.実力がないうちは、今現在自分が所属しているゼミ内での活動に集中すること
2.自分のやりたいと思うところは譲らないこと
3.こまめに相談すること
4.自分と教授・ゼミメンバーが上手くやっていけるか、そこにいる人間との相性をきちんと考えること
ネット上には「ゼミの選び方」なる情報が多数あり、特に3、4についてはどこのサイトも述べているが、こんなにも重要だとは思わなかった。
一年を通してよかったこと、学んだこと
ネガティブなことばかり述べたが、失敗からは多くの学びが得られる。一年を通してよかったことも述べておきたい。
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自分の向いているコミュニティとはなにか、向いている立ち位置とはなにか
この一年の活動を通して多くの人と関わる機会があった。その中で自分が向いているコミュニティとはどういうものなのかの傾向がつかめたと思う。
この一年で唯一胸をはれること、それはとある外部コミュニティのプロジェクトメンバーととても仲良くなったことだ。そのコミュニティと我がゼミが関わりあって久しいようだが、恐らく私ほど関係をもてた人はいなかった。一年の後半になるとゼミとは全く関係ない仕事を個人的に任され、遂行していた。この頃になると正直指導教員は外部プロジェクトメンバーなのではないかと思えてくる。ゼミ内での立ち位置が微妙な私は外部で居場所を見つけたることができた。彼らとは卒業しても個人的に関係を持ち続けたいと思う。
自分に合っているコミュニティを見つけられたのは幸福だった。
これらを踏まえて、自身の進路をきちんと考えたいと思う。もうゼミ選びのときのように、ブランドなどで行き先を決めることはないだろう。
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自分がいかに頭が悪いか
私は論理的に物事を考える能力が同期、ともすれば後輩よりも劣っているし、研究室で求められている専門的な才能もないのだということをこの一年ひしひしと思い知った。これは一見よかったことではなく、ともすれば残念なお知らせかのように思える。実際やっぱり自分でも辛い事実だし、うまくいっている同期達を見ていると嫉妬心が芽生えてくる。
でもこれはしょうがない確固とした事実なのだ。その事実を受け入れ、それを雀の涙ほどにしかならないかもしれないが克服する努力をするためのきっかけを与えてくれた。
これから先どう過ごすか
まだ卒制は提出していないので、一応まだ卒業できるかはわからない。が恐らく卒業できると仮定すると、来年度から私は別の大学院へと進学する。
院試があったのは夏であり、そこから約半年が経って、研究とはなんなのかを身に染みて感じた。こんな私が大学院でやっていけるのか、それも別の大学院で。なんとなく自分の中のイメージでは他大学院進学をする人は自分の大学のレベルでは飽き足らないとても優秀な人がとる手段みたいなイメージがある。別に自分が優秀だと思いそういった選択をとったわけではないが、残念ながら私には普通レベルの能力すらなかった。
我がゼミの教授やメンバーもこんな劣等生が別の大学院にいったところで何も掴んでこれないだろうに、と思っているだろうし、来年度からお世話になるであろう教授やメンバーもなんでこんな落ちこぼれが来てしまったんだと嘆くことだろう。
こんな私はせめて自身の大学院で迷惑をかけぬよう最低限のことだけやって粛々としているべきだったのかもしれない。しかし私にはもう今の研究室でやっていく精神はない。
他と違う選択肢をとるということは、言い訳ができない。周りに流されてした選択は言い訳ではあるがともすれば許される可能性もわずかながらにある。しかし他と違った選択をする場合は、往々にして自分で考えた結論なので、言い訳しようもないくらい100%自己責任だ。
他大学院にいくという選択をとってしまった自分は、そういった覚悟も同時に背負わなくてはならない。半年で自分の限界がちょっと見えてしまった気がする。でもそれも言い訳にならない。
つらい。しかしやらなくてはならない。
とりあえず卒制提出直前という今、考えたことを忘れず胸に秘めて、今のゼミでの卒制を終わらせ、新生活に備えるしかない。