旅するデザイナーとマフラー

旅する暮らしを目指しながら建築についてなど日々思うことを書いていきます。

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過去の自分に対し「視野が狭い」と言ってやりたい。

実家に帰り、母に会う。聞くとどうやら大学受験を控える妹が色々と悩んでいるらしい。

 

 

 チャランポランな自分と妹は違い、常に将来をしっかり見据えている。高校一年生の頃からオープンキャンパスに出向き、自分が何をしたいかを常に考え、志望校を決定しそれに向かって勉強していた、つい先日までは。

 どうやら担任に国立大学を受けろと言われ、今まで自分が考え抜いてきた進路に迷いが生じてしまった様子。妹はとにかく現役でその第一志望の大学に入ることを絶対的な信念として貫いてきたのに、ここにきてその信念を崩されそうになってしまい、考えれば考えるほど自分の進路がわからなくなってしまったようだ。

 (ネットでよく見るような国立大学至上主義の高校が実際にあることにも驚きつつ)自分の妹に対し視野が狭いなぁと思ってしまう。そもそもその担任の意見を真っ向から受け入れる必要なんてない。担任だってあくまで他人だ。それに妹は現役に異常にこだわって、受験までの短い時間の間に全ての決定をなさないといけないと思っているようだが、そもそも現役で大学行くだけが全てではない。浪人する人だっていまだ8人に1人はいるし、社会人を経て大学に来る人だって以外といる。かくゆう自分もやりたいことが変わったというあまりにもアレな理由で一年宅浪して、その間農作業とかしてたわけで。それに決心を決めたつもりでも、大学入学後にやりたいことが変わる可能性なんて多いにある。大学に入って実感することは、高校までの自分がいかに物事を知らなかったかということだ。

 浪人を前提に勉強するような人は浪人しても落ちるというような意見は最もだけど、進路がわからないことにとてつもなく苦悩している妹を見ていると、少しくらい立ち止まって色々考える時間くらい許されてもいいんじゃないかと思えてくる。

 とはいえ、浪人したとは言え自分も受験期のころは同じように視野が狭かったということを思い出す。

 

 今年高校に入学した従弟に会う。高校生活での色んなしがらみや悩みについていろいろ話す。こちらも視野が狭いなぁと思うけど、自分の高校時代を思い返すと同じように視野が狭かったことを思い出す。

 

 経験を重ね大人になっていくと、その経験の数だけ視野が広くなっていくんだろうなと思う。だから当然今自分が考えていることも自分より人生を重ねた年上の方から見ると視野が狭いのだろう。まれによくこんなこと考え付くなとか、すごい適確なアドバイスをくれる同級生や後輩がいるけれど、その人達はきっと自分と同じだけの年を重ねていても自分よりも経験を重ねているんだろう。

  妹、従弟と話したとき自分は適切なアドバイスを彼女らに返せただろうか。誰かの人生の節目に立ち会うときは特に自分の人生の厚みを問われているような気がしてならない。

  今過去を振り返ったとき、その時思いつかなかったようないくつもの選択肢が見えてくる。当然当時はその選択が最適だと思って選んだわけで、その選択には後悔していない。振り返ったとき選択肢が増えているなら、きっと視野は広くなっているんだろう。

  その視野の広がりは今度は未来の選択に繋がる。最適な選択をするために、まだまだ人生はつづく。