失敗だらけのチャレンジ
大学院の試験が迫っている。
自大学の院を受ける同級生達は試験が終わりほっとしている中、他大学をこれから受ける自分はだんだんとナーバスになってきた。
そんなこともあり寝付けない、もちろん勉強しているけれど受かるビジョンが見えずにこわい。自大学もうければいいのにという周りの声を押し切って目標のところ一本に絞ったのにも関わらず。
落ちたらどうしよう、それが頭をグルグル巡る。落ちたってやりようはいくらでもあるのだけれど、それでもこわい。
こんな感覚は久しぶりだ、いや強がって押し殺しているだけなのだ。本当はいつだって、日常のどんな場面でも自分の選択やそれが引き起こす未来について、不安でいっぱい
こうもナーバスだと人生を振り返りたくなる。
たった20数年しか生きていないただの若者だけれども、思い返せば人生失敗だらけだった。
高校の時、入った部活が辛くて早々に辞め、部活を立ち上げようとするも失敗、大学受験期は進路決めに失敗し、行きたい大学が見つからず受験せず、大学でもプロジェクトや卒研が全然うまく進まず誰かに迷惑をかけてばかり。
どうして周りのみんなは、「まわりもそうしてるから」という理由だけでその道を選べるのだろうといつも少し軽蔑しながら、自分は自分のやりたいことだけをしていた。いつもチャレンジはしている、でも不器用で能力がないから失敗ばかりしている。むしろ自分が軽蔑してるような人たちは自分なんかよりよっぽど能力が高く、なにをやっても成功ばかり。
順序が逆なのかもしれない。能力が低いから普通のことしても失敗する。比較されるのが嫌だから他と違うことして、しかしそこでも失敗してしまうというだけの話なのだろうか。
院試に話をもどそう。
なぜ院試に落ちてしまうと思っているのか?
本当に大学院に行きたいのかというところに疑問を持ち始めているからだ。同級生のなかで、就職も院にも進まない人たち、つまりは起業したり旅したり、はたまた海外の大学いくために準備したり。そういった人たちと話しているとそういった選択肢もあるということ、自分の本当にしたいことにチャレンジすべきだということに気付かされる。
他大学院に行く理由は自大学院では指導してもらえないとある分野を学びたいがためにいくのだが、それはあくまで就活を視野に入れたなかでのやりたいこと。その分野で就活するためにそのことを学ぶのだが、「生き方」の話をするならば、自分は旅をしたいし日本から飛び出したい。旅をするだとかそういった「生き方」に関わる部分は実現不可能なんだと自分の中で勝手に蓋をしていたけれども彼らと話していると肯定されている気がして、大学院に行くことが正しいのか揺らいでいた。
しかし一方こうだとも考えられる。ほとんどが自大学院に行くなかで他大学院に行くのは他の人と違う進路なわけで、他と違うというチャレンジをそのことで行えていたのが、あらゆる人が出てきたことによって、大学院に行くという進路自体普通のものになってしまった。だから他の人と違うチャレンジをするために他の道を探している。
いま、自分の本心がわからない。しかし他の人との違いの中だけで物事を考えていたら、結果はおそらく失敗しかない。
まだまだたっぷり悩める人生とは違い、院試はすぐそこ。どつか自分の本当に進むべき道をどうにか照らしてはくれないものだろうか?