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旅するデザイナーとマフラー

哲学だったり、お絵描きだったり、アニメだったり、建築だったり。日常の備忘録。

高校生時代の情熱と、大学生時代のスキル

日常

高校の後輩一人が某大学の編入試験に合格したので合格祝いパーティということで久々にみんなで会ってご飯を食べるなどしていた。

 

集まった後輩のうち一人は今料理専門学校に通っていて、もう就職先も決まり、来年から働き始めるとのこと。

学校でつくった見た目おしゃれでなおかつおいしそうなお菓子の写真とかを見せてくれて、あぁ高校の時からお菓子つくるの上手かったけど、こんなにもレベルが上がっているとはなぁとしみじみ・・・。

 

 

さて、同じつくる系ということで自分にもいまどんなものつくってるのという話がまわってきた・・・!

 

大学に入って早2年半・・・いろんなものをつくってきたぞ、と意気込んでみたもののそんなに見せられるようなものって実はあまりないという驚愕の事実に気が付く。

 

たしかに色々つくってはいる。でもコンセプトワークだったり、模型だったり。未来のこういう技術があれば実現するよね~とかこういう人達がお金を出して手伝ってくれればできるね~というものばかりで実際に空間・プロダクトとしてつかえるものはごくわずか。

 

CGとか模型とか見せたらおぉなんかすごい・・みたいになったけどなんだかなぁ・・・

 

高校の頃の自分は頭で考えるよりも先に手が動いていた人間だったから、考えは浅かったりしたけれどもとにかくどんどん実物をつくれていたし、それで見た人、同級生とか後輩とかの反応をダイレクトに知れた。

 

なんだかそういったフットワークの軽さが大学に入って薄れてきてるよなぁとうすうす思っていたが、高校時代の後輩達に再会して確信に変わった。

 

なまじっか方法論だったり社会のニーズだったりを学んでしまったから、いいものをつくろうと頭で考える時間が増えたし、いいものでなかったらつくるよりも前に頭の中で却下してしまっている。

 

なまじっかCGなどを学んでしまったから、それらで表現することで満足してしまっているような気がする。

 

 

高校の時は、大学に入ったらもっといろいろすごいものをつくってやろうと意気込んでいた。

デザインスキルは格段に上がったと思うし、きっと社会が必要としているものを「提案」する力はついたのだと思う。

けれども以前のようなとにかくつくってやるぞ!という情熱や、自分で自分だけの尺度でいいなと思ったものをサッとつくれるような軽さがなくなっている。

ものをつくるということに対し、なんだか社会的意味だとかいろいろ考えすぎているのかも。

 

 

大学生活も半分を通り越している。

高校時代の情熱をとりもどしていきたい。