旅するデザイナーとマフラー

日常の備忘録。そしていつかする旅にむけて。

労働と仕事

去年のクリスマス電通社員が過労死自殺し、電通のブラックな実態が明らかになってきた。まだ24歳ということで自分とさほど年齢は変わらない。とても痛ましい事件である。

 

いくつかの記事を徘徊しているうちに、ふと自分の同級生のブログ記事が頭に思い浮かんだ。

 

彼を名指しで批判したいわけではないのでブログ名等は伏せるが、要約すると、俺は普通の人だったら忙しくてできないというようなことをできたのだから、「忙しい」という言葉は嘘であり甘えだ、というような内容である。

 

彼自身はとてもいい人だし、いろいろ活動していて実績もある人だが、彼とグループワークをした人たちは口をそろえて、彼の不満を漏らす。考える隙もなく、彼の言いなりになってるだけだと。

 

彼の敬愛している、また彼のことをとても気にかけている教授も彼と同じような考えをもっている。

 

いつだったか自分らが作業しているとき、先輩が差し入れをもってきてくれたことがあった。とてつもなく疲弊していたので差し入れをありがたくいただき、一休憩していたところにかの教授がはいってきた。自分たちが一休憩している姿を見るや否や、部屋からでていき30分くらいして戻ってきたかと思えば「飯食ってんなよ!!」と怒鳴り散らしてきた。

作業的にそんな切羽詰まっているわけでもなかったし、なにをそんなに怒ることがあるのか、正直そのときはよくわからなかったが、その後ところどころ無理難題な仕事をむりやり他の学生に押し付けたりしているのを見て、ああこの人はブラック的な仕事観を持つ人なんだなとようやくわかった。

 

例の気にかけている学生が精力的に活動しているのをみて(それ自体はいいことだと思うものの)満足気になり、「仕事まだまだあるよ笑」「もっと働いてー笑」など発言する。

 

 

二人を観察していると、悪い部分で似ているところが発見できた。

支持者がいないのに精力的に活動しているところである。

彼らの受け持っているプロジェクトはメンバーが力を合わせて頑張っているわけではない、リーダーの彼らの理想を実現させるために、彼らが他の人を無理矢理つかっているというような構図になっている。

 

友人が言っていた。「労働」になってしまってはつまらないし、やる気でない、と。まさに彼らの行うプロジェクトは「仕事」ではなく「労働」である。

 

「労働」ではなく「仕事」をすること、これを忘れてはいけないと思う。