本を読むということ、誰かの話を聞くということ
サークルに新しく入ってきたとある1年生はなかなかの経歴の持ち主でとても面白い。
高校を卒業し数年間フラフラしていたものの急に数学に目覚め、猛勉強の末大学に入った。大学に入った後も、自身の専門にとらわれることなく興味のある分野を幅広く学んでいる。
別に高校卒業後フラフラしてるだけなら自分もそうだったし(一年間の宅浪期間は受験生というより気ままなニートだった)、自分自身も専門以外の興味のある分野を聴講したりしている。
しかしそんな彼の話は自分とは比べものにならないくらい面白い。
教養が深いのだ、どんな分野のことでも自分の言葉で説明したうえで自分の考えを述べられている。
どうやらとにかく本を読みまくっているらしい。なるほど。
誰かと話すとその人の考えを知れる、そして吸収できる。知識・教養の幅とはどれだけいろんな人と話したかだと自分は思っているし、自分もいろんな人と話そうとしているが、しょせん学生、いろんな人と話そうとしても同じような年代・考えの人しか近くにいないのだから結局あまり幅は広がらない。
でも本は違う。生きた時代、生きた土地、年齢も分野も違う人の話を本を読むことで聞くことができる。知識・教養の幅をひろげられる。
本のデメリットとして一方的な会話になってしまうことがあげられる。「それどういう意味?」と聞いても本は返してくれない、どんどんと自分の話を進めていってしまう。
だからわからないところがあると、せっかく話してくれたことも自分のものにできぬまま、終わってしまうことも多い。そのまま知らないでいることもできる、しかしその答えをほかの本に聞くこともできる。そうすることでどんどんと連鎖的に知識が増えていく。
その後輩は質問の答えを探すためありとあらゆる本に手を出し、どんどんと教養をふかめていっているのだ。
そんな後輩の姿にあこがれた、本の中の人々と話をしてみたい、そんな気になった。
とりあえず手元にある「責任という虚構」でも読んでみるとするか。