「アート」という言葉に対する不信感
つい最近ヘッダーの言葉を変えた。
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「アート」という言葉に対する不信感が最近激しい。アートという言葉を見るだけでなんだか胡散臭さを感じてしまい、その胡散臭さみたになものに自分が染まってしまうのがなんだか気持ち悪いので、言葉を変えた。
関わっている団体でアートという言葉を扱う機会があった。アートを通じてコミュニティを増大させる、アートを通じて地域を活性化させる。
それらの取り組み自体は間違ってないとは思うし、アートという言葉本来の意味にはあっているのだろう、納得はできる。
ただ「アート」という言葉がコミュニティ増大等の目的の単なる手段の一つとなってしまっているように思う、その裏にある経済効果などが透けて見えているような気がしてしまうのだ。
アートと銘打つからにはつくりだした作品やその作品を作り出す過程こそ最も重要視すべきだと自分は思う。
その作品を通じ何を五感で感じ取ったか、何を得たか、そういったところが見逃され、仲良しコミュニティが増えましたよかったねで終わってしまう現状がちらほら見受けられるのが今のアートの残念なところな気がする。
しかしここのところは自分でもまだ整理しきれていない。作品というものに自分はこだわりすぎているのだろうか。
うーん美術=アートと訳されがちなのもよくないのかもしれない。
今度またじっくり考えよう・・・。
アートの代わりにお絵描きなどという幼稚な言葉を使うのもどうかと思うが、ボキャ貧な自分にはいい言葉が見つからないし、そんな言葉でも「アート」などという言葉よりは何十倍もマシなのだ。