旅するデザイナーとマフラー

旅する暮らしを目指しながら建築についてなど日々思うことを書いていきます。

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久しぶりに日記を書いた。

f:id:abingdonelinika:20180617213644j:plain久しぶりに日記を書いた。

 

浪人をしていた頃は、毎週末にその週のまとめとなるような日記を書いており、その週に一体自分は何を成し遂げることができたのか振り返っていた。このおかげで予備校に通わずとも自分を律しながら勉強を続け、希望の大学に合格することができた。

 

浪人時代の一年は一日一日が貴重だった。

 

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帰りたくなる故郷。

先日久しぶりに高校時代の友人と会い、高校付近を散策した。

 

高校1年生の頃、高校に行くのが辛くてさぼったはいいものの行く当てがなくフラフラしてると辿り着いた商店街

高校2年生の頃、友人とよく座って話していた公園のベンチ

高校3年生の頃、よく勉強していた喫茶店

 

苦い思い出もたくさんあるが、そこは紛れもなく私が高校時代を過ごしていた場所だった。

 

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DJ社長は好きなことで成果を出して生きていく

https://m.youtube.com/watch?v=n8O3svhKLEs

レペゼン地球という方の上の動画がyoutubeのおすすめに数日前からあがっていて、特に興味もなかったのでずっと放置していたのだが、今日なんとなしにラジオ感覚で見てみるか、、と思い見てみることにした。

 

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私の大学生活におけるサークルの意味

 もう2週間ほど前になるが所属している2つのサークルの追いコンを終えた。

この記事で書いた通り

abingdonelinika.hatenadiary.jp

私は音楽系サークルAと文化系サークルBの2つのサークルに所属していた。両サークルともたまに顔は出すものの、本格的な活動には顔をださない。引退直後に書いた前回の記事から約1年と少しが経った。

 

 

今一度自分にとってこの2つのサークルがどのような意味があったのかを考えてみる。

 

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高校時代の後輩が亡くなった

 

高校時代の一個下の後輩が亡くなった

 

という知らせを高校時代の同級生から先日聞いた。

私が大学1年か2年の時のことで、既に2,3年も経っているのでとんでもなく遅い知らせではあるが。

 享年18,19才とかだと思う。詳しい原因はわからない、しかし「自室で亡くなった」とのことでもしかしたら自ら選んだ道だったのかもしれない、と彼女は言う。

 

 

その後輩とは特別仲がいいというわけではない、しかし学校行事には積極的に関わり、交友関係も広い学校内での有名人だったので知っており、何度かは話したこともある。

人気者で常にみんなの輪の中心にいるリーダー的な存在で、でもただお調子者というわけでもなく、非常に聡明で古典や数学、哲学と幅広い興味と知識、そして独特の感性や考えを持った子だった。

 

そんな子が・・・衝撃だった・・・それも高校を卒業して、大学に入学し約一年くらいで・・・。

 

若い子が亡くなるのは悲しい。まだ高校時代の思い出も新鮮なまま残っている頃だろうに、同級生やその子に近しい関係の子達の当時のショックは計り知れない。

 

 

私は本当の死因を知らないので、憶測でしかものを語れないが、もし彼女の言うように自ら選んだ道なのだとしたら、、知らせを聞いたときは衝撃だったが、その一方でもしかしたら、あの子ならやりかねないという思いが頭を一瞬よぎった。

 

私みたいなその子と少ししか接点をもたない人間でも、その子が「思考」を好んでいたことがわかる。自らの頭の中で考える、考えて答えを見つける、死の直前まで、その子はありとあらゆることを考えたのだと思う。考えて考えて考えたうえで選んだ道がそれだった。

哲学者や芸術家が激しい自己の思考の後、辿り着いた真理が「死」であったと言う話もあるが、その子からはそういった真理を追究しようとする人々のもつ気迫や雰囲気が高校当時からあった。

 

何となくその子は将来、普通に就職をしたりするのではなく、何か自分の中の真理を追究し続けるような生き方をするのかな、とそう思っていた。

 

その結果がこれなのか

 

その子は一体何を考えていたのだろう。今となってはわからない。なぜならもうこの世にはいないのだから。

生きてさえいえれば、いくらでもきくことができるのに。

 

生きてさえいれば・・・・

 

 

死の直前その子は何を考えていたのか。

 

この知らせを聞いてから、私の心はやり切れなさと虚無感でずっと落ち着かないままでいる。

 

ずいぶんと時間が経ってしまったけれども、ご冥福をお祈りいたします。

 

私の居場所

学科総出で行った卒業制作展がついに終わった。

この一年はほとんどゼミ生+αとしか顔を合せなかったため、同じ学科の同学年が一同に介すのは久しぶりだ。久しぶりに見た顔もちらほらある。

 打ち上げの場でそんな彼らと久しぶりに話す。大学生活も残すところ一か月。皆思い思いに友人と4年間を振り返る。

「〇〇がいないと寂しくなる」「あと一か月で皆がバラバラになるっていう実感がわかない」

大学院に残る者もいるが、(多分)半分くらいは4年間過ごした大学を去る。別れを前に寂しさを言葉にする。

 

でも私は知っている。「寂しい」なんて言葉は嘘っぱちだ。

 

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卒業制作を終えての感想

発表など含む卒制に関わる全てが終わった。

 

 危惧していた教授達を前にした発表も、特に変な質問が来ることもなく難なく終了した。やりきったという達成感よりも、やっとこのテーマから解放されたという思いの方が大きい。

 以前の記事でも述べたが、この一年を振り返ると、ゼミの呪縛に縛られっぱなしで、それが足枷となって掴むことができなかったチャンスもあるし、一方でゼミのプロジェクトも自身の研究も上手くいかないばっかりだった。

最後の発表も、私は直前までまとめ方に迷い、ゼミの先輩・同期・後輩に大いに助けてもらいながら、なんとか漕ぎつけた。ゼミメンバーの力を借りながら、作業をしていたら、なんだかふと、私はやっとゼミの一員になれたんだという気がした。

 

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