旅するデザイナーとマフラー

日常の備忘録。そしていつかする旅にむけて。

ごちゃまぜの家

とっても面白そうな活動をみつけました!

 

camp-fire.jp

 

無料で誰でも立ち入れて、本を読めたり料理したり、一緒にたまたま居合わせた人々と談笑したり。

 

誰もが立ち寄れるサードプレイスのような場所。

 

実際に行った人の感想をみても、とてもあたたかみのある空間ができていたそう。

 

こういった新しい価値となる空間を生み出したい。

スクランブル交差点の中心で自由を叫ぶ

 

最近色んなYouTuberの動画をよく見ています。

 

中年層とそれ以上の世代とかからはYouTuber何それ状態だし

 

TVやマスコミは、小学生のなりたい職業ランクにYouTuberが入っていて日本の将来が心配みたいな報道をしてる

 

確かにそういう側面もあるかもしれないけれども

それでもやっぱり面白い動画を撮り続けるクレイジーながらも素晴らしい動画クリエイターがたくさんいる。

 

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モンゴルの移動式住居「ゲル」で家と共に旅を!!

この動画、モンゴルの移動式住居「ゲル」がどうやって組みあがっていくかがとても分かりやすく紹介されています。

www.youtube.com

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私は旅人になりたい

私には夢があります

 

それは旅をしながら生きること

 

このブログのタイトルにもなっているように「旅」という言葉は私の人生の中で大きなウェイトを占めています。

 

思えば高校・大学の友人、母親の友達からバイト先の同僚まで、様々な人から私は将来どこか外国を旅していそうと言われ続けてきました。そして私自身もいつかきっと自分は旅をするのだろうと思ってこれまで生きてきました。

 

大学も4年になった今、私は未だ旅をしていません。

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睡眠欲

身近に「寝すぎじゃない」みたいなことを言う人達がいる。

 

そういう言葉を聞くたび、いやそれは僕の勝手でしょと思うのだが、

睡眠欲っていうのは一番本能に正直な欲求なのかもしれない。自制が聞かないというか。

例えば4時間だけ寝るつもりが8時間も寝てしまったとき、人は後悔したりするが、そもそも身体的にはそれはきっと正しいことなわけで。

最も実直な本能を理性やら規律やらで封じ込めたくはない 

 

常識とは偏見のコレクションである。

最近ちょっとしたことでもヒトにいらついてしまう。

 

昔は気にもならなかったような些細なこと、自分とは違う考え、方法を好奇の目ではなく拒絶の目で見るようなことが多くなった気がする。

 

 

ヒトを許せなくなった。

 

自分がヒト許せなくなっていったのか

 

それとも

 

ヒトが、自分のもともと許せないと思っていた方向に足をどんどん踏み入れていったのか

 

まぁきっと両方なんだろう。

 

 

 

アインシュタインが言っていた、

「常識とは18歳までに得た偏見のコレクションである。」

 (Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.)

 

 自分の常識と、ヒトの常識、偏見によりそれらの範囲はどんどんと狭くなっていき、交わりが、消えていく。

 

年齢を重ねるにつれ常識という名の足かせが増えていく、

自我がよくないのか、それなら自我はいらない。流れる水のようにいきていきたい。

 

我が家には中国の哲学家・老子が書き記した「タオ」と呼ばれる本があり、自分は幼いころからその本を何度も繰り返し読んでいた。

流れる水のように生きる、かつては当たり前だとおもっていたこの考えが年齢とともに実行するのが難しくなっていった。

 

凝り固まった身体を溶かして水とする、常識など忘れてしまいたい。

同じ目線で 同じ景色を視て・・・・・

 タイトルの言葉は「ココロコネクト」というアニメの「ココロノカラ」という曲の一部。

 

同じ目線で 同じ景色を視て 同じ音を聴いて どんなに寄り添っても

 

ヒトのココロは伝わらなくて...

 

だから僕らは この想いを 言葉に託す

 

疲れ果て変な時間に寝て、深夜に起きてしまうと、暗闇にのまれ楽しい気分にもなれず、もう一度寝ることもできず、考え込んでしまう。

今日のあの会話、あの時、もしかしたら傷つけてしまったかもしれない、誤解されたかもしれない、あの時ああいえばよかったのではないか、、、、

 

 

自分は説明が下手だ。独特だといわれる表現と擬音を使い、最初に聞いたらなんのことを指しているんだかわからないと言われる。しかも雰囲気で理解してもらおうとするからたちが悪い。

この歌詞にある通り、人の心というものはそう簡単に通じ合わない、悲しいことに。

 しかも仮にうまく説明できたとしても、悲しいことにその心すら共感してもらえないことが多々ある(きちんと説明して理解してもらえるはず・・・)。

 

 

でも稀にそんな自分のつたない表現の話と不完全な心情をなんでだが理解してくれる人がいる。そんなとき自分はそこに居場所を見つける。

 

会話の技術を高めれば、心情をより多数派に傾け染め上げれば、理解者が増えるだろう。

 

でもそれを越えて、理解できる人が確かに存在してるということが自分のなかで自分を貫き続けようという自信を与えてくれる。

 

この広い世界で彼らを見つけ出すことはとても難しい。

でも

ココロが通じ合う人、それを見つけ出すことこそが幸せへの近道なのだろう