旅するデザイナーとマフラー

日常の備忘録。そしていつかする旅にむけて。

DJ社長は好きなことで成果を出して生きていく

https://m.youtube.com/watch?v=n8O3svhKLEs

レペゼン地球という方の上の動画がyoutubeのおすすめに数日前からあがっていて、特に興味もなかったのでずっと放置していたのだが、今日なんとなしにラジオ感覚で見てみるか、、と思い見てみることにした。

ま初めて数分の感想は、見た目はヤンキーで、話し方も悪い意味でおちゃらけていて、過激なことして再生数稼ぐ迷惑系YouTuberか、、と落胆していた。

しかし動画が続き、「社長になりたい」という夢を持って上京、イベント企画者?としての幾多の失敗、そこから這い上がったと思えばまた失敗し、でも考えて考えてまた這い上がってきたという半生が語られると、なんだかしっかり考えている人なんだなと評価が一変した。

そもそも私は動画で紹介されているようなDJクラブイベントなんぞ行ったことがないので、いまいち理解できていないところも多いが、数千人規模の人を集めたというのはすごいし、この話が本当ならとんでもない行動力とバイタリティを持ち合わせた人なんだなと思う。

みんなが「好きなことで生きていく」を実行すれば、日本は終わる、が実際行動に移す人なんかごく僅かしかいない。

彼も言っていたが本当にその通りで、人は結局行動することに対して、やらない理由を見つけるのが上手い動物だ。

そしてタチの悪いことに自分の行動だけでなく、他人の行動も制御しようとしてくる。

でもそんな意見は参考にはすべきかもしれないが所詮は他人の意見なのだから、それに自分の行動を制限されるべきではない。

好きなことで生きていくことは決して難しいことではない。自分が動き出せば何かが変わるはずだ。

また彼は頑張ることが重要なのではなく、どう頑張るかが重要であると言っていて、どうすれば好きなことで生きていけるかの方法まで述べていた。

YouTuberの代名詞ともなっている「好きなことで生きていく」という言葉に対し、多くのYouTuberが自分なりの解釈を動画でupしているが、その中でも彼の解釈は最も納得できるものだったと思う。

40分の動画があっという間だった。彼の他の動画を見てみよう、とは別に思わないが、少し動向を注意して見ておこうかなと思ったし、私も好きなことで生きていくためにこれからも頑張っていこうと思えた。

私の大学生活におけるサークルの意味

 もう2週間ほど前になるが所属している2つのサークルの追いコンを終えた。

この記事で書いた通り

abingdonelinika.hatenadiary.jp

私は音楽系サークルAと文化系サークルBの2つのサークルに所属していた。両サークルともたまに顔は出すものの、本格的な活動には顔をださない。引退直後に書いた前回の記事から約1年と少しが経った。

 

 

今一度自分にとってこの2つのサークルがどのような意味があったのかを考えてみる。

 

 

文科系サークルB

 一時期先輩の態度に納得が行かず行きたくない時期もあったが、比較的平穏に続けれれたし、卒業式の日に後輩達から花束をもらったとき、「続けていて良かったな」と思える自分がいた。

思い返すとそう思えるのはほんわかするかわいい後輩にたくさん会えたからかなと思う。私は高校の時から自分の心の平穏を保ってくれる後輩を探す傾向があるので、そういった後輩が多くいたこのサークルは特に先輩が卒業してから居心地が良かった。

 

 同期は9人いて今年は誰一人留年することなく卒業できたが、思い返せば1年の冬に同期が1人辞めてから、卒業までずっとその9人で頑張ってきた。

このサークルは先輩後輩ともに男女関係等の人間関係的に様々な問題が発生していたようだが、私の代はそういった問題も起こらず平和に4年間が終わった。 みんな所属学科もバラバラであったが、だからこそお互いの役割というものがはっきりして、上手くバランスが取れていたように思う。

 サークルの仕事という意味でいうと上手く回っていたものの、卒業してみると、正直人間的にはなかなか話が合わなかったりする人もいて、深い付き合いにはならなかったかなとも思う。追いコンでも同期の部長が「この代そんなに深く付き合ってたわけではないよね」と言っていた。深い付き合いではなかったので人間関係的な問題は起こらなかったともいえる。

とはいえ卒業後にそれぞれがそれぞれの分野で活躍している様子がなんとなくわかる。いつかまた集まったときにそれぞれの分野の話を聞けたらなと思う。

 

 

音楽系サークルA

 卒業してみて感じたが、私にとってはやはり僕サークルBよりもこちらのサークルがメインだったと思う。

サークルBとは違い、こちらのサークルは常に波乱万丈であった。会として色々過渡期であったこともあり運営やらなんやらの問題が山積みであったし、私自身もそれなりに重要な役職について忙しかった。

 

 こちらのサークルもサークルBと同じく同期が9人だった。サークルBと違うのは2年次の頃からどんどんとサークルの本業に顔を出さなくなり休会扱いの人が増えたいったことだ。4年次の演奏会に出演したのは4人のみ、そして私も演奏はしていない。

4年間で会の方針等の違いから起こる同期の衝突も多かったし、どんどん同期が休会していっていく様子を見ていく時には悲しい気持ちになることもあった。

しかし卒業式の日、後輩の見送りや追いコン等イベントは複数あり、1つのイベントに9人揃うことはなかったものの9人全員が何かしらのイベントには出席してサークルに関わったことに私はとても感動した。

思えば会に顔を出さないだけで数人での飲み会は来たりと会に対する帰属意識はないものの個人のつながりは太かった。

 正直1年のころは絶対辞めてやるとずっと思い続けていたサークルだったが、最後まで続けてこれたのはきっと同期の力なのかなと卒業してみて思う。サークルを運営していくということに対して意見の対立はすさまじかったが、個人個人としては話の合う人が多く、皆いい人で楽しかった。この人達との関係は崩したくないなという思うから休会を繰り返してしまったものの最後まで続けられたのかなと思う。

 真剣に付き合ってぶつかり合ったからこそ、得られるものもあるのかなと実感した。

いつかまた先輩後輩達も含めて集まりたいと思うし、きっとまた集まるだろうと思う。

 

 

 

性格として正反対のサークルであったが、正反対であったことでそれぞれ違った体験をすることができた。

正直学科ではハブられたとかそういうわけではないが4年間ずっと同じグループにいたということはなく、コウモリのようにフラフラしていてあまり確固とした自分の居場所があったようには思えなかった。しかしサークル、特に音楽系サークルAではいつもフラフラしている自分にとってもここが自分の居場所であると思えた。

 

 

居場所が見つけられたこと、それが私の大学生活において、サークルがもつ意味だったのかもしれない。 

高校時代の後輩が亡くなった

 

高校時代の一個下の後輩が亡くなった

 

という知らせを高校時代の同級生から先日聞いた。

私が大学1年か2年の時のことで、既に2,3年も経っているのでとんでもなく遅い知らせではあるが。

 享年18,19才とかだと思う。詳しい原因はわからない、しかし「自室で亡くなった」とのことでもしかしたら自ら選んだ道だったのかもしれない、と彼女は言う。

 

 

その後輩とは特別仲がいいというわけではない、しかし学校行事には積極的に関わり、交友関係も広い学校内での有名人だったので知っており、何度かは話したこともある。

人気者で常にみんなの輪の中心にいるリーダー的な存在で、でもただお調子者というわけでもなく、非常に聡明で古典や数学、哲学と幅広い興味と知識、そして独特の感性や考えを持った子だった。

 

そんな子が・・・衝撃だった・・・それも高校を卒業して、大学に入学し約一年くらいで・・・。

 

若い子が亡くなるのは悲しい。まだ高校時代の思い出も新鮮なまま残っている頃だろうに、同級生やその子に近しい関係の子達の当時のショックは計り知れない。

 

 

私は本当の死因を知らないので、憶測でしかものを語れないが、もし彼女の言うように自ら選んだ道なのだとしたら、、知らせを聞いたときは衝撃だったが、その一方でもしかしたら、あの子ならやりかねないという思いが頭を一瞬よぎった。

 

私みたいなその子と少ししか接点をもたない人間でも、その子が「思考」を好んでいたことがわかる。自らの頭の中で考える、考えて答えを見つける、死の直前まで、その子はありとあらゆることを考えたのだと思う。考えて考えて考えたうえで選んだ道がそれだった。

哲学者や芸術家が激しい自己の思考の後、辿り着いた真理が「死」であったと言う話もあるが、その子からはそういった真理を追究しようとする人々のもつ気迫や雰囲気が高校当時からあった。

 

何となくその子は将来、普通に就職をしたりするのではなく、何か自分の中の真理を追究し続けるような生き方をするのかな、とそう思っていた。

 

その結果がこれなのか

 

その子は一体何を考えていたのだろう。今となってはわからない。なぜならもうこの世にはいないのだから。

生きてさえいえれば、いくらでもきくことができるのに。

 

生きてさえいれば・・・・

 

 

死の直前その子は何を考えていたのか。

 

この知らせを聞いてから、私の心はやり切れなさと虚無感でずっと落ち着かないままでいる。

 

ずいぶんと時間が経ってしまったけれども、ご冥福をお祈りいたします。

 

私の居場所

学科総出で行った卒業制作展がついに終わった。

この一年はほとんどゼミ生+αとしか顔を合せなかったため、同じ学科の同学年が一同に介すのは久しぶりだ。久しぶりに見た顔もちらほらある。

 打ち上げの場でそんな彼らと久しぶりに話す。大学生活も残すところ一か月。皆思い思いに友人と4年間を振り返る。

「〇〇がいないと寂しくなる」「あと一か月で皆がバラバラになるっていう実感がわかない」

大学院に残る者もいるが、(多分)半分くらいは4年間過ごした大学を去る。別れを前に寂しさを言葉にする。

 

でも私は知っている。「寂しい」なんて言葉は嘘っぱちだ。

 

高校の時、私は後輩と仲が良かった。

「先輩がいなくなると寂しくなる」、私が卒業するとき、彼女らは口々に私にそう言ってくれた。

しかし数ヶ月経ち、高校に遊びに行くと、新入生を交えて楽しく過ごしている彼女らの姿を目の当たりにした。私がいないならいないで、それでも世界は廻っていく。いつまでもその寂しさを引きずることなどない。

当たり前のことだ。でもそれは私の心に深く突き刺さった。

 

自分勝手な話だが、きっと私は、誰の代わりでもない私という存在の証明が欲しかった。その場所で唯一無二の存在でありたくて、その居場所に固執していた。そして勝手に裏切られた、と一人走りした思いに囚われていた。

 

そんな高校時代の思い出から約4年が経った。

自分の居場所、に固執しても結局裏切られるという思いからか、輪の中には積極的に交わらず、俯瞰して学科と関わっていてしまった気がする。正直今となって少し後悔。自分の大学の学科という居場所の中で、私は唯一無二の私としてのアイデンティティを確立できただろうか。飲み会という場を利用して、1人の同級生に思いをぶつけてみる。彼は答えた。「君のアイデンティティというかブランドは十分あったよ。」

そう言われて仮にお世辞だとしても、そういった返事が返ってきたことは嬉しい。そして飲み会が終わった今振り返ると、何よりそういった内面の話を自分から同級生に切り出した自分にびっくりする。そうか、無意識のうちに、ここは私にとって居心地のいい居場所となっていたのかもしれないなと。

固執するのではなく、受け止める。そう思うと「寂しくなる」という言葉を素直に受け止められる。

卒業制作を終えての感想

発表など含む卒制に関わる全てが終わった。

 

 危惧していた教授達を前にした発表も、特に変な質問が来ることもなく難なく終了した。やりきったという達成感よりも、やっとこのテーマから解放されたという思いの方が大きい。

 以前の記事でも述べたが、この一年を振り返ると、ゼミの呪縛に縛られっぱなしで、それが足枷となって掴むことができなかったチャンスもあるし、一方でゼミのプロジェクトも自身の研究も上手くいかないばっかりだった。

最後の発表も、私は直前までまとめ方に迷い、ゼミの先輩・同期・後輩に大いに助けてもらいながら、なんとか漕ぎつけた。ゼミメンバーの力を借りながら、作業をしていたら、なんだかふと、私はやっとゼミの一員になれたんだという気がした。

 

 私は誰かに頼ることが基本苦手だ。誰かに恩返しをするということが苦手で、他人に貸しをつくりたくない。だから自分で全部できるように努力してきたし、他人のアドバイスですら、鵜呑みにするのは嫌だった。そこには全部自分でできるというプライドがあった。

 しかしそんなプライドは捨てて、誰かに頼ってみると、こんなにもスラっと進むのかということを実感した。失敗だらけのゼミ活動ではあったが最後の最後に誰かに頼るということを学べたことはよかったのかもしれない。お世話になったゼミメンバーにはきちんと恩返しをしたいと思うし、そういった関係をつくれたことが最後の最後に自分もこのゼミの一員なんだという実感を得られた理由なのかもしれない。