旅するデザイナーとマフラー

日常の備忘録。そしていつかする旅にむけて。

窓から見える景色

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卒制に行き詰まる。やる気もでない。

 

作業が行き詰まると自転車に乗ってただ街をブラブラするなどする。 特に住宅街をブラブラするのは楽しい。、色んな家を見れて、住宅建築好きにはたまらない。 特に窓を覗くのが好きだ。

 

家のデザインだけじゃなくてそこに住む人の生活も想像する。庭の様子とか外観から内装とかを空想してみたりする。たまに見かける2階の窓から見える景色、2階まで吹き抜けになっていてその吹き抜け空間に面している窓は誰の部屋なんだろうと思う。

 

 

2018年の目標

2017年が終わった。

 

2017年はまさしくゼミの奴隷であった。

 

なんか・・・こう・・・思い返してみて色々あったけれどもゼミでのプロジェクトに関することがほとんどを占めている感じがする。そしてそこから得たものの実感は今だない。

 

この思い出も「いやぁ、あの日々は辛かったけど充実してたなぁ」っていつか思える日がくるのかぁ。そうでも思わないとなんだかとんでもないことに時間を費やしてしまった気がする。

 

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2018年になった。

 

きっと今年は色んなことがあった大学生生活4年間も終わって、新しい生活の幕開けとなる年になるだろうと思う。

 

なんだか追われるままに終わってしまった今年の反省も踏まえて、2018年は具体的な目標を定めたいと思う。

 

  • 制作を続ける

 基本的に私がネット上で発表するものは私個人のリアルと切り離したものである、

からこそなかなかpixivとかtumblrとか各種SNSで挙げられるものってなかなかない。

けどうらを返すと僕が制作しているものってほとんどが大学の課題だったり誰かから頼まれてつくったりするような趣味とはまた違ったものなのかなぁと前々から感じていた。職業デザイナーとしてはそれでいいのかもしれないけれども、なんだか自分の世界観としての作品が広がらないかなぁとも思ったりする。

僕自身の「リアル」から切り離された作品がどれほど意味をもつのか試す、そのためにも制作をきちんとしていきたい。特にイラストは大学入ってから見つけた趣味でなおかつ大学でやっていることとあまり関係性がないしね。

 

  • 語学を継続的に勉強する

 去年1年は外国人と接する機会がこれまで以上に多かった。はじめて南アメリカに旅立つという経験もしたし。

やっぱり私は旅が好きだ。いつか旅にでるための下準備として、来年以降は今のところ(未定だけど)外国人とのシェアハウスに住む予定。色んな国の人と話して世界を広げたい。

 

  • ・衣食住を大切にした生活をする

  大学生活、特に今年は忙しいという言い訳から、衣食住がおざなりになっていた。

仕事だとかの「やらなきゃいけないこと」に振り回されて、「生活」を疎かにするのではなく、人間としてのあたりまえの「生活」を送ることをまず大前提として、「やらなきゃいけないこと」をどう処理していくかを考えていきたい。

生活の順序をきちんと考えながらいきようと思った。

 

  • ブログをきちんと続ける。

 このブログの現状を鑑みてもらえれば・・・・わかる通り・・・・。

ただでさえ文章考えるの下手なのだからせめていっぱい考えて練習するように、今年こそはしたい・・・。

頭の中のこんがらっている事柄を整理するという意味で、ブログみたいなカタチで情報をぶしょうとして視覚化して、まぁあわよくば他人に見てもらえるという可能性(緊張感?)がある状況ってとても幸福だと思うから。

卒制が控えている1,2月がとんでもなく鬼門だけど・・・・がんばりたい・・( )

 

 

うん、こんなところかな

 

具体的といいつつ、平凡でありきたりでぼんやりした目標になってしまったかもしれないけれども、平凡な私はそういう当たり前を大事にしていこうとおもう

ブランドは自分を幸せにはしない

とりあえず、今日研究がひと段落ついた・・・。

 といっても提出はまだ先で、これからもつらい日々が待っているが。ひとまず年末年始にむけて、早めのお休み。

 

 

2017年はゼミとの生活だった。思い返せばゼミでの思い出ばかりだ・・、それほどまでにゼミで過ごした時間は長く、考えたことは深い。

 

約1年前のゼミ選びの日、自分は二つのゼミで迷っていた。1つは自分のやりたいことに近いもの、もう1つは圧倒的ブランド力のあるもの。

 

結局自分はブランドを選んだ。周りからの尊敬の目が欲しかった。

 

ゼミ選びには失敗してしまったかなと、今感じている。学べたことは多いと思うが、幸福ではなかった。

 

ブランドは自分を幸せにしてくれなかった。

 

どうも教授とは馬が合わない、授業を受けていたときからなんとなく感じ取ってはいたのに。

ゼミの制度に、あまり合わない。ガッチガチに縛られるより放任された方が自分でサクサク進められる。

 

あと数ヶ月で大学を卒業し、ゼミからも去る。

 

あと少しの辛抱だ・・・

 

 

 

近況

生きている。

 

卒制が忙しい。

 

年末までには今年のまとめができれば・・・

過去の自分に対し「視野が狭い」と言ってやりたい。

実家に帰り、母に会う。聞くとどうやら大学受験を控える妹が色々と悩んでいるらしい。

 

 チャランポランな自分と妹は違い、常に将来をしっかり見据えている。高校一年生の頃からオープンキャンパスに出向き、自分が何をしたいかを常に考え、志望校を決定しそれに向かって勉強していた、つい先日までは。

 どうやら担任に国立大学を受けろと言われ、今まで自分が考え抜いてきた進路に迷いが生じてしまった様子。妹はとにかく現役でその第一志望の大学に入ることを絶対的な信念として貫いてきたのに、ここにきてその信念を崩されそうになってしまい、考えれば考えるほど自分の進路がわからなくなってしまったようだ。

 (ネットでよく見るような国立大学至上主義の高校が実際にあることにも驚きつつ)自分の妹に対し視野が狭いなぁと思ってしまう。そもそもその担任の意見を真っ向から受け入れる必要なんてない。担任だってあくまで他人だ。それに妹は現役に異常にこだわって、受験までの短い時間の間に全ての決定をなさないといけないと思っているようだが、そもそも現役で大学行くだけが全てではない。浪人する人だっていまだ8人に1人はいるし、社会人を経て大学に来る人だって以外といる。かくゆう自分もやりたいことが変わったというあまりにもアレな理由で一年宅浪して、その間農作業とかしてたわけで。それに決心を決めたつもりでも、大学入学後にやりたいことが変わる可能性なんて多いにある。大学に入って実感することは、高校までの自分がいかに物事を知らなかったかということだ。

 浪人を前提に勉強するような人は浪人しても落ちるというような意見は最もだけど、進路がわからないことにとてつもなく苦悩している妹を見ていると、少しくらい立ち止まって色々考える時間くらい許されてもいいんじゃないかと思えてくる。

 とはいえ、浪人したとは言え自分も受験期のころは同じように視野が狭かったということを思い出す。

 

 今年高校に入学した従弟に会う。高校生活での色んなしがらみや悩みについていろいろ話す。こちらも視野が狭いなぁと思うけど、自分の高校時代を思い返すと同じように視野が狭かったことを思い出す。

 

 経験を重ね大人になっていくと、その経験の数だけ視野が広くなっていくんだろうなと思う。だから当然今自分が考えていることも自分より人生を重ねた年上の方から見ると視野が狭いのだろう。まれによくこんなこと考え付くなとか、すごい適確なアドバイスをくれる同級生や後輩がいるけれど、その人達はきっと自分と同じだけの年を重ねていても自分よりも経験を重ねているんだろう。

  妹、従弟と話したとき自分は適切なアドバイスを彼女らに返せただろうか。誰かの人生の節目に立ち会うときは特に自分の人生の厚みを問われているような気がしてならない。

  今過去を振り返ったとき、その時思いつかなかったようないくつもの選択肢が見えてくる。当然当時はその選択が最適だと思って選んだわけで、その選択には後悔していない。振り返ったとき選択肢が増えているなら、きっと視野は広くなっているんだろう。

  その視野の広がりは今度は未来の選択に繋がる。最適な選択をするために、まだまだ人生はつづく。

「動いた。」あなたと「動けない。」わたし

「動いた。」というサラリーマン創作グループを知っているだろうか。

 

普段は普通のサラリーマンだが土日を使って電子工作を使った創作活動に打ち込んでいるクリエイティブ集団だ。

 

初めて彼らの作品を見たのは去年Tokyo Design Week。曲に合わせて動く浮世絵の作品を見てから、ずっと印象に残っている。

www.youtube.com

 

 

今日ネットサーフィンしていたら偶然、彼らの別の作品を見つけた。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

どの作品も独創的で笑ってしまうほどユニークで見ていて飽きない。アイデアとそれを作り上げる忍耐力や実行力、彼らの活動はどこを取っても素晴らしいものに自分の目には映った。

 

特に一番すごいと思ったのが彼らの創作意欲だ。

 

普段の仕事だって忙しいだろうに、それでも創作を続けるほどのエネルギーをもちあわせているなんて。サイトを見るともともとプログラミングの知識を持っていたわけでもなく、必要に応じて学んでいるらしいからとんでもない労力なはずだ。

 

 

彼らだけではない。ニコニコ動画などで「つくって見た」動画をupしている人達もコミケ等で同人誌をつくって売る社会人も、みなすごいエネルギッシュだ。

 

最近、というかここ一年くらいか、全然つくる気力が湧いてこない。授業やプロジェクトで関わっているあれこれで「つくらなきゃいけないもの」はあってつくるけど、「つくりたいもの」をつくることができない。

 

自分は本当にモノをつくるなんてことが好きなのだろうか?休憩期間なのか? ものづくりなんかに本当に携わっていいのだろうか?

 

自分に対する疑念はぬぐえない。

 

 

 

「動いた。」さんのサイトはこちら↓

www.ugoita.com

失敗だらけのチャレンジ

大学院の試験が迫っている。

 

自大学の院を受ける同級生達は試験が終わりほっとしている中、他大学をこれから受ける自分はだんだんとナーバスになってきた。

そんなこともあり寝付けない、もちろん勉強しているけれど受かるビジョンが見えずにこわい。自大学もうければいいのにという周りの声を押し切って目標のところ一本に絞ったのにも関わらず。

 

落ちたらどうしよう、それが頭をグルグル巡る。落ちたってやりようはいくらでもあるのだけれど、それでもこわい。

こんな感覚は久しぶりだ、いや強がって押し殺しているだけなのだ。本当はいつだって、日常のどんな場面でも自分の選択やそれが引き起こす未来について、不安でいっぱい

 

こうもナーバスだと人生を振り返りたくなる。

 

たった20数年しか生きていないただの若者だけれども、思い返せば人生失敗だらけだった。

 

高校の時、入った部活が辛くて早々に辞め、部活を立ち上げようとするも失敗、大学受験期は進路決めに失敗し、行きたい大学が見つからず受験せず、大学でもプロジェクトや卒研が全然うまく進まず誰かに迷惑をかけてばかり。

 

どうして周りのみんなは、「まわりもそうしてるから」という理由だけでその道を選べるのだろうといつも少し軽蔑しながら、自分は自分のやりたいことだけをしていた。いつもチャレンジはしている、でも不器用で能力がないから失敗ばかりしている。むしろ自分が軽蔑してるような人たちは自分なんかよりよっぽど能力が高く、なにをやっても成功ばかり。

 

順序が逆なのかもしれない。能力が低いから普通のことしても失敗する。比較されるのが嫌だから他と違うことして、しかしそこでも失敗してしまうというだけの話なのだろうか。

 

院試に話をもどそう。

 

なぜ院試に落ちてしまうと思っているのか?

 

本当に大学院に行きたいのかというところに疑問を持ち始めているからだ。同級生のなかで、就職も院にも進まない人たち、つまりは起業したり旅したり、はたまた海外の大学いくために準備したり。そういった人たちと話しているとそういった選択肢もあるということ、自分の本当にしたいことにチャレンジすべきだということに気付かされる。

 

他大学院に行く理由は自大学院では指導してもらえないとある分野を学びたいがためにいくのだが、それはあくまで就活を視野に入れたなかでのやりたいこと。その分野で就活するためにそのことを学ぶのだが、「生き方」の話をするならば、自分は旅をしたいし日本から飛び出したい。旅をするだとかそういった「生き方」に関わる部分は実現不可能なんだと自分の中で勝手に蓋をしていたけれども彼らと話していると肯定されている気がして、大学院に行くことが正しいのか揺らいでいた。

 

しかし一方こうだとも考えられる。ほとんどが自大学院に行くなかで他大学院に行くのは他の人と違う進路なわけで、他と違うというチャレンジをそのことで行えていたのが、あらゆる人が出てきたことによって、大学院に行くという進路自体普通のものになってしまった。だから他の人と違うチャレンジをするために他の道を探している。

 

いま、自分の本心がわからない。しかし他の人との違いの中だけで物事を考えていたら、結果はおそらく失敗しかない。

 

まだまだたっぷり悩める人生とは違い、院試はすぐそこ。どつか自分の本当に進むべき道をどうにか照らしてはくれないものだろうか?