旅するデザイナーとマフラー

日常の備忘録。そしていつかする旅にむけて。

上海でのインターンで生活を学ぶ

久々の更新となってしまった。

夏休みの一部期間を使って、上海でインターンを行っていた。

 

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上海の夜景はどこを切り取っても絵になる・・・・。すごい・・・。

 

働いた企業はものづくり系の商社で自分は製品カタログの中日翻訳作業を主に行った。

日本でもインターンに行ったことのない自分にとって、実際の会社で朝から夕方までみっちり働くという体験は新鮮で、これが仕事というものだと(この年になって)やっと実感できたいい経験だったと思う。

 

その中でも特に印象に残っていたことがある。それは1人の日本人社員が朝礼で話した内容である。

 

「日本で働いていた時は、がむしゃらに仕事をしていてそのことしか考えていなかった。中国に来てみて中国人と働いてみて気付いたこととして彼らは自分の本当に大切なことを考えながら、自身のキャリアを考え、生活している」

 

この言葉を聞いて、私は自分自身の生活を見つめなおした。

 

思い返すと、自分は大学でもプロジェクトを進めるために休日を返上して、作業をしているし、同級生もそういう人が多いように感じる。こういう人間の行く末は会社に入っても私生活を疎かにする仕事人間になりかねない。

 

 

「生活をする」

大学院に進学するにあたって、私が目標としていたことの一つであるが、なかなか達成できていない。それは単にやることが多くて忙しいだけではなく、自分の本当に大事なことが何かと考え、見つめていないからだ。

 

大学院修士1年の後期も始まった。

「生活する」

単純なことだが、難しいこのことを行っていこうと思う。

 

そのためにも

・自分の大切なことは何か

・どうなりたいのか

を今一度考え直したい。

私は経験が少ない。

他大学の方と話す機会に恵まれた。

あまり大学間交流をサークル活動でも学部でもしてこなかったので、最初はどうだろうと思ってみたが意外と楽しい。連絡先を交換しなかったことに少しだけ後悔。

大学院に来て、学部時代と比べてより大きなプロジェクトに関わるようになってみると、みんな私と違ってとても社交的だなと感じる。

分け隔てなく楽しげな会話をし、友達の友達と人脈を広げていく。

そういう人たちと比べると私は本で聞き齧った薄っぺらい知識をぶら下げながらなんの経験もせずに生きているのだなと思う。

人との出会いは自身の経験につながる。

私は圧倒的に経験が足りていない。大学院から新天地に来て、交友関係が大学内とシェアハウスの同居している人だけというのはなんだか悲しい。

悲しいと思って無性に新しい人に会いたいと思うのだが出会い方がわからない。

大学なんて飛び出してどこか旅に出てしまいたいと無性に思うけれども、私は見えない大学という鎖に縛られている。

このブログのプロフィールには今「いつかする旅にむけて」とあるがこの調子では一生旅なんぞできずに、ただ無駄な知識をふやしていくだけなんではないかと焦燥感にかられる。

眠れない午前3時。

考えるって難しい

「自分の言葉になっていない」

 

最近大学院の授業で言われた言葉だ。

 言われた時はちょっとムッとしたが、今一度思い返すと妙に納得してしまう。

最近書評を書く機会があったが、本の内容をまとめることはできても、意見をもつことは難しい。大抵その本に書かれた内容に納得してしまい、「本の内容に同意して、素晴らしいと思いました」という浅いことしか思い浮かばない。

私は自分の言葉で話すことができない、思い返す節がどんどんと思い返される。

 

 大学院に入って考える機会が格段に増えたように思う。

 ことデザイン系では自分の作品を制作して、他社にプレゼンをする機会が多い。経済だとか機械だとかの学生に比べれば知識をただ一方的に受けるだけではないので(完全な偏見だが)、自分で考える力はついているのかなと思っていた。

しかしそれは全くの検討違いであった。

学部はただ自分の頭の中だけで考え、自分のやりたいことをやりたいようにやっていただけなんだなと大学院に入って感じる。他者の論・考えをきちんと消化し、その上で更に自分の考えを深めていくという作業がどんなに難しいか、しかしこれこそ「自分の言葉で考える力」を身に着ける唯一の方法なんだろう。

 

このブログも自分の言葉で話せるようになれば、より内容の濃いものになるだろうか。

 

大学院は2年間しかない。大学院での目標がまた一つ増えた。卒業するころには自分の言葉をもてるようにしよう。

同窓会は品評会なのか

anond.hatelabo.jp

 

 上の記事を読んだ。現在高校教師を務めている増田が久しぶりにあった高校の同級生達の話が全て品評会のように聞こえ、自分と価値観が合わなくなってしまったことに気付いたという内容だ。

 

 私も主に大学に入ってから、周りの人間の価値観が合わないと感じることがある。人間の質が高校生とは違うと。

 具体的には、会話の内容がどこのブランドがいいやら、異性について容姿や行動の評価など、どことなく他人を品評し、自分とどちらと優れているのか、この増田と同じようなことを感じた。

 

 そういえば先日小学校の同級生1人が今夏から海外生活を始めるとのことで、送別会が当時の同級生数人で行われた。ほとんどが実に4年ぶりくらいで、中には小学校を卒業してから会ったことないかな?というようなものもいる。かつての同級生は皆大人になり、大学院生になっているものもいれば、社会人になって働いているものもいる。

  昔話に花が咲く。しかしそこでも、今どんな異性と付き合っているのか?どんなブランドをもっているか?今時分は株でこれだけ儲けているなどとこの増田の同級生と同じような会話が繰り広げられた。

 

 たまに大人になればなるほど人の多様性がなくなっていると感じることがある。高校くらいまではこれをしたい、これになりたいという夢を皆語っていた。色んな人がいて、それぞれが夢に向かってはしっていた。その動機は単純な自身の純粋興味から湧き出るものだった。

 

 大人たちの興味も一見多種多様に見える。しかしその根本を見れば、金や異性などたった2,3の事柄に結びついていくように見えてならない。こういう風にしか見れなくなってしまった私に問題があるのだろうか。

 

 でも中には今も変わらず、彼らが今取り組んでいることについて、自身の好奇心から湧き出る根拠をもとに、楽し気に話す同級生もいて、そんな彼らの姿をみて嬉しくなった。

 

 次にみんなで集まるのはいつのことになるだろうか。彼女が海外から帰ってきたときであろうか?

その時はどのような会話が繰り広げられるのだろう。 

久しぶりに日記を書いた。

f:id:abingdonelinika:20180617213644j:plain久しぶりに日記を書いた。

 

浪人をしていた頃は、毎週末にその週のまとめとなるような日記を書いており、その週に一体自分は何を成し遂げることができたのか振り返っていた。このおかげで予備校に通わずとも自分を律しながら勉強を続け、希望の大学に合格することができた。

 

浪人時代の一年は一日一日が貴重だった。

 

大学に入って日記を書くことを辞めた。なかなか忙しさなどにかまけていた等の理由はあるが、しかし振り返るとなかなか時間を無駄にしていたことも多かったことに気付く。一日一日私は何を成し遂げたのかわからぬまま日々を過ごした。

 

久しぶりに日記を書いた。

 

大学院の時間は短い。

 

一日一日を大切に、今週、今月、今年これを自分は成し遂げたんだと、胸を張って卒業できるよう過ごしたいと思う。